バッテリーの話。スマホのバッテリーを長持ちさせるには?

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第2世代(2nd Generation。以降、2Gと略します)は1993年にサービスが開始されました。2Gではディジタル方式が採用され、端末も携帯できるくらいまでに小型化しました。 いわゆるガラパゴスケータイ(ガラケー)ですね。端末も安価になり一般に普及し始めたのも2Gの頃からです。安価とは言え電話機としては決して安くはなかったのですが、 当時は長期の通話料契約を結べば端末を実質的にゼロにする売り方ができましたので普及しました。通話品質は満足できるものではなく、乗り物内部の通話では周囲の騒音に 紛れて聞き取れないことが多々ありました。因みに、当時は乗り物内の通話は白い目で見られるものの可能でした。また、通話中の切断は頻繁に発生しました。特に複数の 基地局からの電波を同時に受ける高所(ビルの高層階等)では頻繁に切断が発生した記憶があります。また、場所による電波状態変化が激しく、品質が確保できる場所を探して マネキンのように不動の姿勢で切断を回避していました。
docomo(当時はNTT DoCoMo)では、端末メーカーの頭文字を加えてMova N(NEC)、Mova F(富士通)、Mova D(三菱電機)、Mova M(モトローラ)、Mova P(パナソニック。 当時は松下通信)、Mova R(日本無線)等があり、Mova Pは切断が起き難い、Mova Nは他社にない「二つ折り」端末を投入した等、メーカー人気を左右しました。また、 「二つ折り」端末の耐久性不足でヒンジ破壊が起き、メーカー間の優劣が明確になった時期でもありました。因みに、このヒンジの破壊は通話時のみ「二つ折り」端末を開閉 すると想定していたメーカーですが、若者が手持ち無沙汰の際に端末を振って開閉を繰り返す、と言う挙動を考慮していなかったため、と言うのが原因でした。その後、 SH(シャープ)、SO(ソニー)、SA(三洋電機)、ER(エリクソン)、NM(ノキア)等が加わり、端末の選択肢が増えました。
また、2Gでは国内の通信方式が統一されましたが日本の端末は海外では使えませんでした。元来、通信方式は米国、日本とそれ以外の国々の3つに分かれており、モバイル ネットワークもD-AMPS(米国)、PDC(日本)とGSM(それ以外の国)に分かれていました。当時、日本と米国以外ではSIM交換で端末が使えたのですが、日本人は成田空港で端末を レンタルするか、現地で端末を買うしかありませんでした。日本と米国以外ではフィンランドのノキア製が人気で高いシェアを誇っていましたが、日本や米国では国産メーカー のシェアが高かい、と言う状況でした。 また、2Gと同時期にPHS(Personal Handy-phone System)も普及しました。これは、固定電話をコードレス電話のように持って歩くことを目的にしたもので、基地局も 携帯電話と較べて非常に手軽且つ安価であったこと、切れ難く通話品質も良好だったため携帯電話を凌駕する勢いで普及しました。一方で、鉄道や車での移動中には使えず、 また当時、普及し始めた端末からのインターネット接続やメール機能を備えたiモードの流れに乗れずに最終的にサービスの縮小を余儀なくされました。ただ、2G時代の インターネット接続やメール機能は従量課金で使用分だけ料金が請求されるため、iモードで通話料の高額請求も問題になりました。最終的にPHSはその役目を終えることと なった訳です。